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地震体験記
2011年3月11日金曜日 東北地方太平洋沖地震

いつか自分の記憶をふりかえることができなくなった時のために、地震を体験した日のことを書いておこうと思います。

地震がおこった時 私は家にいた。
2時40分すぎに時計を見た、ああ、娘がそろそろ帰ってくるな、そう思っていた。

その後大きな揺れを感じる。

今まで生きてきた中で一番大きく、そして長い。
恐怖からか、5分以上続いたような気がした。

我が家は築40年以上の古い建物。すぐに建物が壊れるような気がして、逃げ道を確保しようと窓をあけた。

ララを抱えたまま揺れがおさまるのを待った。

長い長い長い時間。

娘はたぶん学校、なら安心だ。そう自分に言い聞かせながら。

揺れがおさまったのでテレビをつけた。どこも騒然としている。
やはり相当大きい地震だったのだ。

娘を迎えにいくべきか、どうしようかと迷いながら、近所の様子を伺っていると、同じクラスのお友達のママたちがぞくぞくと学校へ向かう姿が。

そうか!すぐ行っていいんだ!
なんだかパニックで、ララを犬用バックにおしこめ、あわてて家をでる。

学校へ着くと、みんなが校庭で座って待っていた。

さすが子供たちはみんな元気で、こわがっている様子もなく安心する。

しかし、余震が何度も。大人たちはつい恐怖を口にしてしまう。

子供たちは帰り支度をしに教室へもどり、保護者が向かえにきた子供たちから帰宅。

このまましばらく学校にいたいような、そんな気持もながらに家に帰る。

テレビをつけるとすさまじいニュース。
やっと東北のほうが震源地だとわかる。津波の恐怖。

なんだかいてもたってもいられなくなり、ほったらかしてあった非難袋をひっぱりだす。少しの食料や着替えなどをつめこみ玄関へ置いた。

電話がまったくつながらないので、旦那様や実家へも連絡はつかず。

その後やっと実家のおばあちゃんには電話がつながるが、母がでかけたままだと聞く。少し不安。

夜になり母から電話。なんと母は、赤坂にあるホテルの40階の展望レストランで食事をしてたのだという。まさかの40階での地震。
その揺れは相当なものだったという。エレベーターが使えなくなったので、階段で下まで降り、車で無事帰宅したのだという。よかった。

旦那様は仕事中で車で移動中だったとかで、無事帰宅。
みんな無事だったことに感謝する。

その後も余震におびえながらも、娘がいるおかげで明るく過ごすことができた。

しかし、まさか原発の問題がおきるとは。
これからずっと放射線の恐怖が待っているとは・・・

水道水が飲めない日がくるなんて思ってもみなかった。
これから野菜も、魚も、食べ物すべてに対しての疑心がおこることでしょう。

でも、どうかどうか日本の未来に希望を!そう強く願うばかり。
| QQ | 09:38 | comments(2) | - |
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Comment
とあるところからここを見つけてニヤニヤしつつ新しい記事から遡って読んでます。

タイトルしたの東北地方が痴呆になっており、どうしても気になったのでコメントさせて頂きました
わざとなら問題ない(?)のですが…


Posted by: mame |at: 2013/02/21 2:40 PM
☆mame様

すみません。確実に間違いです。
訂正させていただきました。
私というのはうっかり98パーセントしっかり2パーセントという人でして。ほんとに申し訳ありませんm(__)m
Posted by: ウサコ |at: 2013/03/13 1:48 PM








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