地震体験記
2011.03.13 Sunday | category:私
2011年3月11日金曜日 東北地方太平洋沖地震
いつか自分の記憶をふりかえることができなくなった時のために、地震を体験した日のことを書いておこうと思います。
地震がおこった時 私は家にいた。
2時40分すぎに時計を見た、ああ、娘がそろそろ帰ってくるな、そう思っていた。
その後大きな揺れを感じる。
今まで生きてきた中で一番大きく、そして長い。
恐怖からか、5分以上続いたような気がした。
我が家は築40年以上の古い建物。すぐに建物が壊れるような気がして、逃げ道を確保しようと窓をあけた。
ララを抱えたまま揺れがおさまるのを待った。
長い長い長い時間。
娘はたぶん学校、なら安心だ。そう自分に言い聞かせながら。
揺れがおさまったのでテレビをつけた。どこも騒然としている。
やはり相当大きい地震だったのだ。
娘を迎えにいくべきか、どうしようかと迷いながら、近所の様子を伺っていると、同じクラスのお友達のママたちがぞくぞくと学校へ向かう姿が。
そうか!すぐ行っていいんだ!
なんだかパニックで、ララを犬用バックにおしこめ、あわてて家をでる。
学校へ着くと、みんなが校庭で座って待っていた。
さすが子供たちはみんな元気で、こわがっている様子もなく安心する。
しかし、余震が何度も。大人たちはつい恐怖を口にしてしまう。
子供たちは帰り支度をしに教室へもどり、保護者が向かえにきた子供たちから帰宅。
このまましばらく学校にいたいような、そんな気持もながらに家に帰る。
テレビをつけるとすさまじいニュース。
やっと東北のほうが震源地だとわかる。津波の恐怖。
なんだかいてもたってもいられなくなり、ほったらかしてあった非難袋をひっぱりだす。少しの食料や着替えなどをつめこみ玄関へ置いた。
電話がまったくつながらないので、旦那様や実家へも連絡はつかず。
その後やっと実家のおばあちゃんには電話がつながるが、母がでかけたままだと聞く。少し不安。
夜になり母から電話。なんと母は、赤坂にあるホテルの40階の展望レストランで食事をしてたのだという。まさかの40階での地震。
その揺れは相当なものだったという。エレベーターが使えなくなったので、階段で下まで降り、車で無事帰宅したのだという。よかった。
旦那様は仕事中で車で移動中だったとかで、無事帰宅。
みんな無事だったことに感謝する。
その後も余震におびえながらも、娘がいるおかげで明るく過ごすことができた。
しかし、まさか原発の問題がおきるとは。
これからずっと放射線の恐怖が待っているとは・・・
水道水が飲めない日がくるなんて思ってもみなかった。
これから野菜も、魚も、食べ物すべてに対しての疑心がおこることでしょう。
でも、どうかどうか日本の未来に希望を!そう強く願うばかり。
いつか自分の記憶をふりかえることができなくなった時のために、地震を体験した日のことを書いておこうと思います。
地震がおこった時 私は家にいた。
2時40分すぎに時計を見た、ああ、娘がそろそろ帰ってくるな、そう思っていた。
その後大きな揺れを感じる。
今まで生きてきた中で一番大きく、そして長い。
恐怖からか、5分以上続いたような気がした。
我が家は築40年以上の古い建物。すぐに建物が壊れるような気がして、逃げ道を確保しようと窓をあけた。
ララを抱えたまま揺れがおさまるのを待った。
長い長い長い時間。
娘はたぶん学校、なら安心だ。そう自分に言い聞かせながら。
揺れがおさまったのでテレビをつけた。どこも騒然としている。
やはり相当大きい地震だったのだ。
娘を迎えにいくべきか、どうしようかと迷いながら、近所の様子を伺っていると、同じクラスのお友達のママたちがぞくぞくと学校へ向かう姿が。
そうか!すぐ行っていいんだ!
なんだかパニックで、ララを犬用バックにおしこめ、あわてて家をでる。
学校へ着くと、みんなが校庭で座って待っていた。
さすが子供たちはみんな元気で、こわがっている様子もなく安心する。
しかし、余震が何度も。大人たちはつい恐怖を口にしてしまう。
子供たちは帰り支度をしに教室へもどり、保護者が向かえにきた子供たちから帰宅。
このまましばらく学校にいたいような、そんな気持もながらに家に帰る。
テレビをつけるとすさまじいニュース。
やっと東北のほうが震源地だとわかる。津波の恐怖。
なんだかいてもたってもいられなくなり、ほったらかしてあった非難袋をひっぱりだす。少しの食料や着替えなどをつめこみ玄関へ置いた。
電話がまったくつながらないので、旦那様や実家へも連絡はつかず。
その後やっと実家のおばあちゃんには電話がつながるが、母がでかけたままだと聞く。少し不安。
夜になり母から電話。なんと母は、赤坂にあるホテルの40階の展望レストランで食事をしてたのだという。まさかの40階での地震。
その揺れは相当なものだったという。エレベーターが使えなくなったので、階段で下まで降り、車で無事帰宅したのだという。よかった。
旦那様は仕事中で車で移動中だったとかで、無事帰宅。
みんな無事だったことに感謝する。
その後も余震におびえながらも、娘がいるおかげで明るく過ごすことができた。
しかし、まさか原発の問題がおきるとは。
これからずっと放射線の恐怖が待っているとは・・・
水道水が飲めない日がくるなんて思ってもみなかった。
これから野菜も、魚も、食べ物すべてに対しての疑心がおこることでしょう。
でも、どうかどうか日本の未来に希望を!そう強く願うばかり。
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